長崎平和公園

初日は、今回の旅行の一番の目的地、平和公園周辺へ。

原爆死没者追悼平和祈念館には、
被爆して亡くなられた10万人を超える方の名簿が収めらていました。

資料室では、被爆された方の直筆の体験記(アンケートのように、様式に書き入れられたもの)が
綴られ製本された資料が壁一面を覆っています。

たまたま開いたページの短い一文が目に留まりました。

  原爆で母と妹を亡くし、私も被爆して失明し、思い出したくありません。許してください。

続き、原爆資料館へ。
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アメリカ軍はドイツに原爆を落とそうと計画していたものの、5月にドイツが降伏したため、
照準を日本に変更、軍と科学者とが、どの都市に投下しようかと検討した経緯が示されていました。

候補地は、京都、広島、横浜、小倉、新潟、そして、長崎。
何万人という人の命と将来を奪うための話し合いに、胸が痛くなります。

たくさんの外国人見学者に、カナダ人同僚の言葉を思い出しました。

「カナダとかアメリカでは、原爆投下は仕方なかった、って学校で教えられるから、そうだと思ってた。
でも広島の資料館を見て、『絶対に、仕方ないものでは、ない!!!』とわかった。
だから、みんなに見てほしい」

原爆落下中心地。
この場所に、63年前に地獄の光景が広がったのですね。
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平和公園
「平和の泉」の奥に、祈念像が見えます。
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手前の石には、被爆体験者の手記の一部が彫られています。

  のどが乾いてたまりませんでした
  水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました。
  どうしても水がほしくて
  とうとうあぶらの浮いたまま飲みました


天を指す右手は原爆の脅威を、水平にのばした左手は世界の平和を、
閉じた目は犠牲者の冥福を祈っているそうです。

最後に、自らも被爆しながら、被爆者の救援活動を行い、
のちに病床でも原爆症の研究と執筆を続けた永井隆博士の記念館へ。