天照大御神

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カナダ人Sの差し入れのバウムクーヘンをいただきながら、
この夏、伊勢神宮にお参りしたというEさんのお土産話が一段落すると、

「ユカは伊勢神宮に行ったことある?」
と私に尋ねるカナダ人S。

「ない」と答えると、
「えー!!!日本人はみんな伊勢神宮に行くべきでしょう!?」とS。

「そうなの?」と私。
「そうだよ!江戸時代は伊勢神宮に行かないと死ねないって言われてたんだよ」とS。

「『あまてらすおおみかみ』が女性の神様ってことは知ってるでしょう?」
と、隣の日本人Eちゃんに確認するS。

「??何それ?ギリシャ神話?」とEちゃん。

「はぁ!?I AM SHOCKED!! Oh, my god!!!オーー・マイ・あまてらすおおみかみ!!」

お父さんがカトリック教徒だったというSは、
「教会に行くのは大嫌いだったけど、神社は好き!」。

教会では神父が決まり文句を言うと、信徒は決まり文句で返答する、とパターンが決まっていて、
心のこもっていないなおざりな感じが耐えられなかったのだとか。

「神社はもっとパーソナルでしょう、好きな時に行って、こうやって(手を合わせて)
神様に自分の言葉でお願いして。毎週日曜日に来いとも言われないし」

別な町に住んでいた時、他に観光地がなかったため、カナダから友人が訪ねてくると
決まって案内する神社があったそうです。

「こんなふうに適当に手を合わせてたの。
(パンッと乱暴に手を合わせて)『オーケー、もう行こう!』みたいな感じで」

手を合わせて祈るという宗教的な行為を同胞の友人の前ですることに、
恥ずかしさがあったのだとか。

ある年の10月、そんなふうに神社に友人を案内したあとの数日間で、
立て続けに何件もの交通事故を見たというS。

「『どうしてこんなに事故を見るんだろう?そうだ、ちゃんとお参りしなかったからだ!』と思ったの。
それで、ひとりでその神社に行って、『ごめんなさい、ごめんなさい』って謝ってきたの!」

神様の前で礼儀正しくなかったことに、ずっと罪の意識があったそうです。

その後、ぱたりと事故を見なくなったという信心深い(?)Sですが、事の顛末を聞いた
彼女の当時の日本人ボーイフレンドは、

「今行っても意味ないよ。神無月で、神様いないから」。

それで『神無月』を覚えたの、とS。

別れ際、「おいしいバウムクーヘンをありがとう!」と言う私たちに、日本語で、
「どういたしまして!お粗末さまでした。『お粗末さまでした』ってわかる?大丈夫?」
とEちゃんを指差すS。

日本の神様も感心していることでしょう。