土浦全国花火競技大会

9月も中盤になると、桜川の河原には青いビニールシートが目立ち始める。
毎年10月の第一土曜日に開催される全国花火競技大会の場所取りだ。
「あぁ、今年も花火の季節だなぁ」と思う。

「信じられない。どうしたらどれが自分の場所ってわかるの?」とメラニー
「杭とビニールテープで囲って、みんな、名前を書いた看板を立てるの」
アメリカだったらそんなの次に来た人が引っこ抜いて、自分の名前に変えちゃうわ」

「『○×組』っていう名前で看板立てるとイタズラされないよ」
と言った友人がいたけれど、組を名乗らなくても、
縄張り争いのトラブルの話も聞かないので、今のところ河原の秩序は保たれているらしい。

(去年、私たちの後ろに陣取ったヤンキーカップル×2組のグループはすごかったけれど。
6畳ほどのスペースをテープで囲って確保して、なんと、ヒョウ柄のカーペット、
ソファ、テーブルを運び込み、趣味の悪いリビング・ルームを作り上げていた)

花火大会の季節になると思い出す人がいる。
小学校5年生の時の同級生、T丸君。

私が5年生の2学期から転入した小学校は、花火大会の酔狂のど真ん中にいた。
花火を見るのに絶好のロケーションとあって、朝から近所の大人たちが
ビニールシートを手に学校にやってきては、屋上や校庭に場所取りをする。
当時は土曜日も午前中は学校があったのだけれど、朝から開催合図の花火が
鳴りっぱなし、子供たちも運動会みたいに浮き足立っていて、授業どころではない。

東京のベッドタウンとして急発展し、新学期には1クラスに20人もの新入生を
迎え入れるような取手市団地の寄せ集め的小学校から転校してきた私には、
その花火の日の地域一体ワクワクな雰囲気がとても新鮮だった。

さて、T丸君の話。
花火大会の翌日の日曜日、何の集まりだったのか朝から登校したのだが、
T丸君が遅れてやってきた。
「どうして遅かったの?」
「母ちゃんに言われて、桜川の土手に財布拾いに行ってた」

毎年、花火の翌朝、見物客が落としていく財布をいくつか収穫するという。
なんだか戦中戦後の混乱期のような話だ。

T丸君にはお父さんがいなかった。
「おれが2年の時、ぽっくり死んじゃった」

『ぽっくり』という言葉にその時初めて出会った私。
その後、『ぽっくり亡くなった』と耳にするたびに、
T丸君のひょうひょうとした雰囲気とあいまって、悲しみというより、
どこかコケティッシュでいておとぎ話のような温かみを感じてしまう。

その20年も後のこと、桜川の土手を歩きながら、やっぱりT丸君を思い出し、
お財布拾いの話を友人T君にする。
「それ僕もやったよ。学生の時、花火の後みんなで財布落ちてないか見に来た」とT君。
筑波大生まで?
知る人ぞ知る、花火大会の裏イベントなのかもしれない。