クリスマスの精神

「つくばにorphanageあるかな?調べてくれる?」
オフィスに出勤すると、おはようの挨拶もそこそこに、シェイニー。

シェイニー企画のクリスマス・パーティーで、参加者同士プレゼント交換をする代わりに、
施設の子供たちへのプレゼントを持ち寄るように呼びかけたいという。

ペネロピのバースデー・パーティーでも、事前にプレゼントを断り、
代わりに募金箱を置いて、赤十字への寄付を集めたことを思い出す。

インターネットの検索でつくばに施設があることを知り、早速電話してみると、
快く子供たちへのプレゼントを受け入れてくださるとのこと。

幼児から高校生まで、男子25人、女子26人が暮らしているそう。
感じの良い電話口の男性に、お金や図書券などより、ささやかでもものの方が良い、と教えていただく。

キャンディーでも、小さなおもちゃでも、何でも良いし、もちろん全員分の51個用意しなくて良い、
私が幼児向け、小学生向け、中学生向け、高校生向けと分けて袋詰めするから、と
パーティー参加者に案内のメールを送るシェイニー。

メールの最後に、"Let’s enjoy the spirit of Christmas together!"

同じ日に別なお鍋パーティーがあるので、シェイニーのパーティーには出られないけれど、
私もcontributionだけ参加しよう。

「問題は中高生、特に高校生よね。小さい子向けなら、なにかちょっとしたものが
すぐに見つかるけど、高校生が喜ぶものは難しいわよ」
とシェイニーの友人のスウェーデン人アンナ。

確かに、小さい子供向けのプレゼントがたくさん集って偏るかもしれない。
私は中高生向けに挑戦しよう。
シャープペンとか、ペンケースとか、なにか綺麗な文房具を調達しよう。

ところで、シェイニーが参加者たちにこのcontributionを提案したメールを見て、
実はちょっとがっかり。

"I called the orphanage and they are very happy with this plan."
に始まり、すべて、"I"。

アメリカのドラマや映画で、誰かが "I did …" と言うと、仲間が "Weでしょ" と
言い直させるシーンを見かけるけれど、英語では"I"か"we"かにこだわるはず・・・。

こうして考えると、日本語では主語を省くことが多いのは、自己顕示欲の小ささとか、
曖昧を良しとする国民性と関係しているのかな。

・・・話が逸れましたが、
「これ寄付に」
先陣を切って、日本人女性が箱を持ってきた。
中を覗くと、誰かからお土産にもらい、使わずに何年か引き出しの奥に入っていたような、
古びたメモ帳や置物、イヤリングなど。

贈る側の自己満足や親切の押し売りにならないよう、
子供たちに喜んでもらえる贈り物にしなくては、と思います。