東洋のマチュピチュ、別子銅山

細い山道を25分走り、

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東平ゾーンに到着です。

山の中腹に、東洋のマチュピチュと呼ばれる貯鉱庫跡が。

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鉱山を一時的に保管する場所だったそうです。


遠くには街の向こうに瀬戸内海と島々を臨みます。

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街の建物に光が反射して、キラキラしてとても綺麗。

「後方散乱ですねぇ」
と嬉しそうに光る街にカメラを向ける夫。

こちらは銅山の本部があった場所にのこる索道停車場跡です。

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別子銅山は住友が経営した銅山で、
社員寮や病院や学校までが標高750メートルのこの一帯にあったそうです。

鉱石や日用品、郵便物も、端出場と東平を結ぶこの索道(ロープウエイ)で輸送されたのだとか。

タイムマシンに乗って、賑わっていた当時の様子を見てみたいな。