三殿台遺跡と『ゆず』の坂

弘明寺を出て、鎌倉街道から住宅街に入り、

急で長い長い坂の左右に家が立ち並ぶ様子に
サンフランシスコで見た風景を思い出しながら歩くと、

やっと三殿台(さんとのだい)遺跡の看板が見えてきました。
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この土地は明治時代から貝塚として知られていましたが、
隣の岡村小学校の拡張予定地となったことから、

昭和36年に考古学者や市民・学生延べ5,000人が参加して、
戦後最大の発掘調査が行われたそうです。

その結果、縄文時代弥生時代古墳時代に渡る
250軒もの竪穴住居跡が見つかって、
遺跡として保存されることになったのだとか。

地面にはいくつも、レンガを並べて円が描かれているのですが、
この円が住居があった場所だそうです。
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縄文時代に人が住居を構え、村を作り、しばらく途絶えた後に、
弥生時代古墳時代にもまたこの地に住居が建てられたため、
住居跡の円が重なっています。

3つの時代にまたがる遺跡というのはとても珍しいものなのだとか。

貝塚だったということは、当時はこの辺まで海だったんですよね」
丁寧に説明してくださる係の方(ハンチング帽の素敵な紳士)。

鎌倉や横浜のあたりは海の中だったのですね。

この竪穴住居は、石に描かれた絵を参考に復元したものですが、
左が縄文時代、右が古墳時代のものだそうです。
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古墳時代には中国の文化が伝わって、神殿風の屋根に。

「これからいろいろなところに行くでしょうけれど、こうやって
(その施設の人に)説明を聞くと、後で資料を読んだりしても
わかりやすいでしょう」
と笑顔の紳士。

本当にそうですね。

最後に、
「そこに見える隣の小学校はね、『ゆず』の母校ですよ」
と教えていただきました。

「この長い長い下り坂を 君を自転車の後ろに乗せて」の
長い長い坂は、このあたりの坂なのかな。

(この曲は京急上大岡駅のホームで流れるメロディに使われています。
横浜駅は「ブルーライトヨコハマ」です)