松山城

空弁にちらし寿司弁当を食べて、午後、松山空港に到着。

梅雨明けしたばかりの青空の下、
レトロでなんとも素敵な路面電車に乗って、松山城に向かいました。
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松山城は、元は秀吉の家臣で、
関ヶ原の戦いで家康側に従軍し戦功を認められた加藤嘉明が築いたもので、
1627年に完成したそうです。

松山という地名も、この加藤嘉明命名したものだとか。

敷地には21もの国の重要文化財があり、天守閣の中も自由に見学できて、
とても見応えがあります。
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普段は誰かが住むことはなく、
いざ敵が攻めてきた時に籠城し、指揮を執る場所でもある天守閣。

連立式天守と言うそうですが、
天守・小天守・櫓を四方に配置し、長屋形式の櫓でつなぐ複雑な造りは、
天守防衛の究極の姿」とのこと。
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そうと聞いてからは、いたるところに設えられた見張り窓も物々しくて、
攻防戦に想像を巡らせては、ちょっとどきどきします。
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「この天守閣は、建坪はどのくらいですか?」
天守閣の入口で見学者用のスリッパの整理をしていた係の方に伺うと、
1階部分は70坪程度とのこと。

「位が上の家臣たちもここには簡単には入れなかったのですよ。
ここには普段、天守閣を守る人だけがいました。今で言うと・・・?」

係の方はにこにこされて、これはクイズみたい。
今で言うと・・・枝野官房長官?ではなくて、防衛大臣??

「私ですね~。私が管理していますから」
ふふふ、と楽しそうに笑って、「冗談ですよ、私はただの草履係です」。

400年近く後に、私たちのような庶民が天守閣の中を見学するなんて、
当時は想像さえもしなかったでしょうね。

加藤嘉明はお城の完成を前に会津藩に転封されたそうなので、
ここから瀬戸内海に浮かぶ島々の景色を眺めることもなかったのかな。
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さて、標高132メートルの本丸へはロープウェイで登りましたが、
帰りはロープウェイの隣のリフトで降りてみました。
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昭和41年から動いているというリフト。
手に汗握りました。